このブログは私、中野新一が、ランバ・ラルを名乗り、彼が生きていて、現在の日本で生活していたらどんな事が起こるのか。その社会実験的試みの記録です。

みなさま、おはようございます。
エナジー中野でございます。
およそ、30組のなかから、
第1回戦を突破したわたくしたちは、
その時点で舞鶴市内における、
ベスト16位のコンビに昇格したのでございます。
きむら君は、
「良し。良し。」と、
うつむいて地面を誉めております。
この男とはこの時の縁以来、
浪人時代を経て彼が大学に合格するまで、
懇意に交流を続ける事になるのでございます。
どの校も、戦力のおおかた半分を失っておりました。
我らがセコキントリオも、
わたくし達を除いて姿を消してございます。
わたくしたちは、
Cコート仲間から、
しばし英雄として讃えられたのでございます。
いよいよ2回戦。
なんとその試合は、
あの輝かしい垂涎のコート、
憧れのAコートで行われました。
練習でも、試合でも、
堂々と立ち入ったのは、
この時が初めてでございます。
粒子の細かい白い土で、
どこまでもフラットな美しいコートは、
すっかり高くなった太陽光線を反射して、
いっそうまぶしく輝いていたのでございました。
共に辛酸をなめた相方のきむら君も、
感慨ひとしおだった事でございましょう。
しかし、対戦相手は最悪でございました。
城南中学の四天王のうちの2人のコンビで、
もちろん優勝候補の一角でございました。
わたくしどもが、たいした実力を有していない事は、
どうやら我が校の上層部の連中が先方に耳うちしていたようで、
最初から、やる気のない態度でございます。
浅黒い南方系民族を思わせる、
城南コンビ。
いかにも強そうでございます。
それに比べて、
色白で、頼り無さげなわたくしどもは、
いかにも脆弱にうつった事でございましょう。
しかしそこに、
いちるの望みがあったのでございます。
その時のわたくしたちは、
皆にさんざんおだてられたせいで、
「我々は、人口10万人の舞鶴で、
16位に入る実力をもっているのだ」という勘違いと、
自らの実力で、
あの地獄のようなCコートから、
憧れのAコートにのぼりつめたのだという
根拠の見当たらない自信に溢れていたのでございます。
試合開始。
連中がはじめて目の当たりにする中野サーブは、
面白いように決まりました。
大袈裟なモーションで放たれる、
超ひねくれたスロー変化球は、
パワーテニスを得意としていた連中を翻弄し、
何度もつんのめらさせ、
ミスを誘いました。
しかしサーブ権が移行すると一転、
連中の独壇場でございました。
レーザービームのような、
城南の背の低い後衛が放つファーストサーブは、
まったく手が出なかったのでございます。
きむら君は正義を重んじる男でございましたが、
自分の都合が悪くなると価値観があやしくなります。
「今のサーブ絶対入っとらんで。」と
文句をいっております。
ラリーに持ち込まれても、
もともと実力の無いわたくしどもには不利でございました。
緩急をつけた見事な返球で、
前後左右に打ちわけられ、
わたくしどもは、
苦戦を強いられました。
しかし連中も、
所詮はうちのAコートの連中と同じような、
エリート教育を受けたぼっちゃん育ちでございます。
攻撃に独創性がございません。
わたくしをできるだけ右に走らせ、
とどめをわたくしの左側、
むずかしいバックハンドで失敗を誘うという
基本パターンは崩せなかったのでございます。
このセオリーに対して、
わたくしには2つの利点がございました。
1つは、
わたくしは、フォアハンドはちゃんとドライブをかけて、
速い返球ができるのですが、
むずかしいバックハンドは、
打面が上を向く、くせのせいで、
ラケットを必ず下に振り抜き、
カットして返球するのでございます。
連中は、
とどめに、強烈に打ち込んだつもりのバック側からの返球が、
逆回転のかかった超スローボールなので、
城南の、浅黒い背の低い後衛は、
やはり何度もつんのめっておりました。
2つめは、
いくら左右にふられても、
わたくしは鈍足ながらも、
ボールを追い続ける事ができたのでございます。
それは、わたくしの運動能力に関する、
ほぼたった一つの長所。
持久力でございました。
わたくしは校内マラソン大会において、
1000人近い全校生徒のなかで25位の実力を
誇っていたのでございます。
試合は当初、善戦とはいえ、
城南のペースでございました。
しかし、予想以上に試合がもつれ、
後半にもなりますと、
わたくしは、
下手なくせにボールにしつこく食らい付く持久力を発揮し、
いつの間にか、
城南のエースと互角の戦いをしていたのでございます。
また、
我が白糸の監督先生は、
わたくしどもの試合などほったらかしで、
ございましたが、
この相手は、
どうやら城南の監督期待のルーキーだったようで、
試合開始からずっと、コートの後ろから、
監督が熱心に激をとばしておりました。
いろいろアドバイスがしてもらえて、
羨ましいかぎりでございますが、
まるでわたくしたちが諸悪の根源のような
いいようでございます。
わたくしは蛇のようにしつこくボールに食らい付き、
得意のカット打法で返球し続けます。
相手は、疲労とくせのあるボールのうっとおしさで、
いらいらしております。
きむら君は、
好転する状況に、
「良し。良し。」とガッツポーズをしております。
彼は、人がずるい事をするのには厳しい男ですが、
自分がその恩恵にあずかるぶんには、
あまりとやかく言わない人間でございます。
試合はもつれにもつれ勝負がつかず、
ついにファイナルゲームにもちこされました。
その頃になりますと、
さすがに我校の監督先生も異変に気づき、
Aコートにやってきておりました。
しかし、大半は城南の味方で、
ムードは、
「城南のエースやろ。
こんな連中に負けるな。」
という雰囲気でいっぱいでございます。
そして、
観衆のなか、ファイナルゲームはさらに熾烈を極め、
デュースに持ち越された時。
相手のレシーブがサイドアウトいたしました。
勝利に王手でございます。
わたくしが、
「よっしゃ!」と申しましたが、
審判の判定は「イン」でございました。
正義の男、きむら君が猛烈に抗議しております。
こういった事はよくございます。
試合に熱中しておりますと、
実際には、かなりのスピードが出ているボールなのですが、
それこそミリ単位で見えるのでございます。
試合の当事者は全員、
このボールがアウトである事は自覚しておりました。
城南のコンビがニヤニヤしながら、
ポジションを変わってゆきます。
きむら君は、ブツブツ不満をもらしております。
アドバンテージ&マッチポイントを取られてしまいました。
あと1点で負けでございます。
その時。
あの敵意丸出しだった城南の監督が、
「審判。今のは出たで。」
と、申し出たのでございます。
・・・・静寂・・・・。
「審判!今のは出とったで!よう見とらんかい!」
・・・・静寂・・・・。
「あっ。すみません。
ボールカウント、アドバンテージレシーバー
レシーバーマッチポイント。」
別に歓声は沸き上がりませんでしたが、
城南のエースと、わたくしたちは、
無言で試合を再開いたしました。
結局試合は、わたくしたちが勝利しました。
城南の2人はベンチの横で、悔しくて半泣きになっており、
監督が背中をたたいて健闘をねぎらっております。
わたくしたちは、その次の3回戦では、
上級生にあっけなく負けましたが、
舞鶴市内ベスト8の称号を得たのでございます。
この時の功績が認められ、
わたくしときむら君は、Aコートに昇進して、
しばらく監督の指導のもと、
ちゃんとしたテニスを練習させられるのですが、
その正しい指導のおかげで、
すっかり調子が狂ってしまい、
Bコート、Cコートと転落するのに、
時間はかからなかったのでございます。

みなさま、こんばんわ。
エナジー中野でございます。
まだ夏の日射しが残る秋のある日、
京都府民総合体育大会、
いわゆる府民総体が行われたのでございます。
この体育大会の一部門に、中学生のテニス大会があり、
わが舞鶴市でも、
その地方予選が行われ、
トーナメントで優勝、準優勝したチームは、
たしか、舞鶴を代表して本大会へ出場できるような仕組みだったと思います。
このあたりは記憶があいまいでございますので、
記憶違いがございましたら、
ご容赦くださいませ。
とにかく、
それまでわたくしは、
練習試合や、交流試合では、
勝つという事からは縁遠く、
また、日頃の練習においても、
まったく評価がされておりませんでしたので、
公式戦のレギュラーメンバーに選ばれるなどという準備は、
身も心もしてなかったのでございます。
焦りで眠れなかった前夜。
そのまま迎えた朝。
わたくしは、
夏の早朝を思わせるような朝霧の中を、
買ったばかりのテニパン(テニス用の白い短パン)を着込んで
家を出たのでございました。
その時の、
自分の焦りと興奮とは対照的に、
冷気の立ちこめる朝の匂いを、
今でも鼻の奥に記憶してございます。
この時エントリーした市内の中学校は、
わたくしの在籍しております、
白糸中学校をはじめ、
城南中学校、城北中学校、青葉中学校、和田中学校
の5校でございました。
それぞれの学校に有名な猛者がおり、
我が白糸には、
2年生のゆりさん、まつみやさん、
同級生では、
Aコートの嫌なやつの双璧。
なか君と、にしむら君あたりが有名でございました。
城南中学には4天王といわれた強い4人組。
城北中学には、眉毛の濃い上手いやつ。
青葉中学には、背の低い上手いやつ。
和田中学には、坊主頭の上手いやつがおりました。
この、それぞれの学校の上手いやつどうしは、
仲がいいのでございます。
我々有象無象のやからは、
眼中に無いといった態度でございます。
試合の会場となりましたのは、
なんと我が白糸中学校のテニスコートでございました。
開会のあいさつがおわりますと、
いよいよ試合開始でございます。
中学の軟式テニスは一般的に、
公式戦はダブルスだけでございました。
わたくしは後衛で、
サーブを打ったり、主に返球を担当いたします。
相方の前衛は、きむら君でございました。
ボレーやスマッシュなど、
ネット際での攻撃を担当いたします。
きむら君はとても真面目な男でございました。
お父さんが厳格な教師であったことに
起因していると思われます。
あるとき反省会で、
「今日はだらだらしていました。
明日からはきびきび動きます」と
発言しましたところ、
Bコートの嫌なやつ、なかた君が、
「きびきび、きびきび、きびだんご」と
つっこみを入れたせいで、
彼のあだ名は、きびだんごでございました。
そんな彼の口ぐせは「基本」でございました。
よく、基本!基本!と叫びながら、
ぶんぶん素振りをしてございました。
第1回戦。
なんという幸運でございましょう。
相手はわたくしどもと同じ1年生コンビで、しかも、
我々の牙城ともいうべき、
あの劣悪なCコートでの試合になりました。
わたくしのこの1年間の練習は、
この砂利と赤土のコートに慣れるための1年でございました。
もちろん。
結果は火を見るよりも明らかでございます。
中野、きむら組は、公式戦初参加で、
見事に1回戦を突破したのでございました。

みなさま、こんにちわ。
エナジー中野でございます。
善人づらの卑怯者といわれた、
わたくし中野の必殺技は、
「中野サーブ」でございました。
これは、先述しました、
朝夕の家の前の資材置き場で行った
秘密の特訓の結果、会得した技でございます。
もともと球技に暗いわたくしは、
ラリーの末、打ち勝つという事は考えられない事でございました。
そんなわたくしが勝機を見い出す方法は、たったひとつ。
試合の始めのジャンケンに勝ってサーブ権を取り、
相手に絶対とれないサーブを放ち続けて勝つという戦法でございます。
この作戦ですと、
技量と裁量が必要なラリーはしなくて済みますし、
足の遅いわたくしが、
ボールを追ってあちこち走り回らなくても
済むのでございます。
その中野サーブというのは、
ボールを頭上に上げて、
普通に力一杯サーブを打つのでございます。
まったく強力なボールが放たれると誰もが思う
フォームとスィングなので、
レシーブする側は、
身構えて深めの位置に構えるのでございますが、
大きな音で放たれたボールは、
思ったより、ゆっくりなのでございます。
そして、ボールはややカーブを描きながら着地。
しかし、ボールは着地したまま、
ほとんどはずまず、
そのまま転がってゆくのでございます。
ボールがはずまない。
ボールがはずまなければ打ち返される事もございますまい。
これ以上の必殺技がございましょうか。
わたくしがテニスが下手な訳は、
グリップの甘さと、打面のおかしさが原因でございました。
本来ボールを打撃する瞬間にグリップをにぎり、
力を伝達するのですが、
わたくしは、どうやらボールを打った後ににぎっているようなのでございます。
つまり、ふわふわした状態でボールを放っているのでございます。
また、あの8角形のラケットをにぎりますと、
わたくしはどうしても打面が上を向いてしまうくせがございました。
わたくしは苦心のすえ、
これらの問題を克服することなく、
最大限生かした技をあみ出したのでございました。
中野サーブとは、
いいかげんににぎったラケットで、
ななめに向いた打面を生かして、ななめに振り抜き、
ボールに極端な回転を加える技でございました。
放たれたボールは、
目視できるくらい横長に変型するのでございます。
揚力のような力が発生し、
最初はなかなかサービスエリアに入らなかったのですが、
特訓の末、立ち位置と身体の向きで調整できる事を悟り、
ついにこの魔球を意のままに操る事ができたのでございます。
とはいえ、すぐに相手も学習し、
立ち位置を浅めにし、対応してくるのですが、
この魔球の恐ろしい点は、
慎重に打ち返そうといたしますと、
打った瞬間ボールが左にそれ、
サイドアウトしてしまうのでございます。
それくらい猛烈な回転をしていたのでございます。
ボールの回転の影響を受けないくらい強めに返球しましても、
バウンドの高さがありませんので、
ネットにひっかかるか、
バックアウトでございます。
よしんばうまく返球されましても、
必ずわたくしの右寄りにしか返球されませんから、
わたくしのしもべの前衛の餌食になるか、
楽なフォアハンドで、返球できるのでございます。
しかも、この頃になりますと、
辺境のCコートで、
先生にまったく指導されず、
ほったらかしで勝手に進化した
わたくしのテニスは、
すっかり独自のスタイルを確立しており、
あらゆる打球に、
なにかしらの変化が発生していたのでございます。
硬式のテニスでも、
打球に回転を加えるカット打法はございますが、
軟式テニスでつかう庭球は、
ふわふわのゴムボールでございますので、
その効果は絶大でございます。
それゆえ、
「おまえと打ち合ったら、こっちまで下手になる」と
ハイソサエティーなAコートの連中からは
忌み嫌われたのでございます。
いいさか君や、かねこ君も、
多かれ少なかれ、そのような待遇をうけ、
セコキントリオはますます孤立を深めていったのですが、
当のわたくしたちは、
真面目に練習するAコートの連中をよそに、
4つ葉のクローバーを探したり、
コートの端に穴を掘って、
ラケットでゴルフをしたりしながら、
楽しく暮らしていたのでございました。
そんな、晩秋のある日。
3年生がおおかた引退してしまい、
選手の出場枠に空きができたというので、
わたくしたちに公式戦への参戦が、
いいわたされたのでございました。

みなさま、おはようございます。
エナジー中野でございます。
いいさか君の必殺技は、
仲間のわたくしたちでさえ、
目を覆いたくなるような、
恐ろしい技でございました。
彼は顔がどじょうに似ていたので、
どじょうというあだ名をもっておりました。
つまり、
なかなかにユニークな面構えだったのでございます。
性格はおおむね温厚で、
何が楽しいのか、
いつもニコニコしているのでございますが、
些細な事にすぐかんしゃくをおこす事も、
彼のキャラクターでございました。
そう、彼の必殺技は、
この顔と性格だったのでございます。
いいさか君は、
試合の最中に対戦中の相手に対して、
自分の尻をむけて、ラケットで叩いて挑発するのでございます。
そして、
相手が失敗いたしますと、
とても楽しそうに、
大きい声で「べー」といいながら。
「あかんべー」をするのでございます。
さすがに相手も怒り出します。
いいさか君をにらんでおります。(`д´*)
応援しているわたくしたちは、
彼の試合は恥ずかしいので、
仲間だと思われないよう、
遠まきにながめているのですが、
彼は試合の最中だというのに、
そんなわたくしたちを見つけ、
わざわざやってきて、
「みてみ、あいつ怒ってるで。( ̄ー ̄)」と、
楽しそうに報告をするのでございます。
しかし、
もともと彼もテニスが上手ではございませんので、
次第に相手に翻弄されはじめるのでございます。
するとどうでしょう。
今の今まで、
ごきげんで相手をからかって、
相手のミスを馬鹿にしていたくせに、
自分が劣勢になると、
烈火のごとく突然怒りだし、
意味もなくボールをネットにバンバンぶつけたり、
相手にサーブのボールを渡すのも、
「そんなにボールがほしいんか。ほらやるわ。」
と大声で叫びながら、
ひどい暴投でボールを渡すのでございます。
相手は、なにがなにやら
さっぱり訳がわかりません。
さっきまで自分が馬鹿にされて
怒っていたのに、
いつのまにか、
いいさか君の機嫌をとらなければ、
まともな試合ができない状態に
なってしまっているのでございます。
こんなに気を使わなければならないテニスが
他にございましょうか。
相手は、勝っても負けても、
後味悪くコートを後にするのでございます。
当のいいさか君は、
ひとしきりかんしゃくを起こしましたら、
いつのまにか、けろっとしており、
何にかんしゃくを起こしていたのか、
勝手に忘れてしまうようなのでございます。
おちょうし者のかんしゃく持ち。
怒りの道化師といわれた、
彼の必殺技でございます。

みなさま、おはようございます。
エナジー中野でございます。
先生の目の届かない劣悪な辺境のテニスコート、Cコートでは、
今日も勝手なテニスがくりひろげられておりました。
ルールや用語も自分達で勝手に作っていたので、
今となっては、
何が本当で何が独創なのか、
わたくし本人もよくわかっていないのでございます。
もっとも、砂利を敷きつめたようなコートでございますので、
そもそも、まともなテニスができるわけがございません。
この環境を楽しく生き抜くためには、
独自の文化をはぐくむ必要があったのでございます。
そんなわたくしたちが日々熱心にとりくんだテニスは、
「必殺技」の開発でございました。
まともにラリーができないコートで勝つためには、
一撃必殺の技の修得が重要だったのでございます。
わたくしも、自宅の前の建築資材置き場で、
暗くなるまで熱心に
自主練習したものでございました。
この努力を、
必殺技の開発ではなく、
普通の練習についやしたならば、
多少の技術の向上もあったのかもしれませんが、
その時のわたくしの頭のなかには、
あっと驚く必殺技を会得し、
みんなからウケをとる事しか
思いうかばなかったのでございます。
やがて1年の秋ごろになりますと、
そんな熱心でひたむきな情熱が実を結び、
この地獄のCコートから、
恐るべき必殺技を駆使する、
3人の猛者が出現したのでございます。
ネット際の詐欺師といわれた、かねこ君。
怒りの道化師といわれた、いいさか君。
そして、
善人づらの卑怯者といわれた、わたくし中野でございました。
当時、人はわたくしたちを、
怒りと屈辱をこめてこう呼んだのでございます。
「舞鶴のセコキントリオ」と。
ちょうどそのころ、TBSドラマ「3年B組金八先生」が
たいへん人気でございまして、
なかでも、ジャニーズ事務所に所属していた
田原俊彦・野村義男・近藤真彦の3人の人気はぐんをぬいており、
3人の姓名の頭文字「田・野・近」をとった
「たのきんトリオ」という名称が、
流行しておりました。
ただ、セコい手を使う3人組というだけで、
われわれは、
「セコキントリオ」と呼ばれたのでございます。
もともとわたくしたちは、
Cコート出身の実力の無い人間でございますので、
我々が試合で勝つためには、
ルールの盲点をついたり、
テニスコートや、軟式テニスの構造的欠陥を利用したり、
あるいは、人の心の弱味につけこむといった、
独創的なアプローチしかございませんでした。
その効果を最大限発揮する必殺技を駆使し、
他校や、同じ学校のテニス仲間にさえ、
忌み嫌われ、対戦を避けられた3人組。
それが、「セコキントリオ」だったのでございます。
例えば、
ネット際の詐欺師といわれた、かねこ君の必殺技は、
セカンドレシーブでした。
テニスはまず、対角線上のサーバーが打ったサーブを、
レシーバーが相手コートに打ち返して、
試合がはじまります。
サーブには2回チャンスがあり、
通常1回目のサーブは高速で打ってきます。
実力の無いわたくしたちは、
このファーストサーブは絶対とれませんので、
最初から相手にいたしません。
わたくしたちセコキントリオの勝負は、
ややゆっくりめに打ってくるセカンドサーブから
始まるのでございます。
かねこ君が得意とした必殺技は、
このセカンドサーブにつけこんだ恐ろしいレシーブで、
卓球の変化球のように、
ラケットを下に半円を描くように振り抜き、
ボールに変化を加えながら、
相手コートのネットの脇に打ち返すというもので、
この、かねこ君のセカンドレシーブが決まれば、
わかってても絶対とれなかったのでございます。
この打球を唯一フォローできるのは、
前衛という、ネット際の選手ですが、
この事実に気づかせるのが、
かねこ君の卑怯なところでございまして、
前衛がファインプレーでこのへんてこな打球をなんとか拾っても、
ネットの高さと、ボールの位置から、
甘いロブ(放物線をえがく打球)しか
上げられないのでございます。
この時、かねこ君は本来後衛で、
レシーブしたら、後ろにいなければならないのに下がらず、
ネット際にしゃしゃり出て、
相手が苦心して返球した甘いボールを、
ハエでも落とすかのように、
相手コートに叩き込むのでございます。
軟式テニスのボールの性質。
コートの構造を考えますと、
これは禁じ手にすべき必殺技でございますが、
「合法な卑怯。」
このスタイルこそが、
セコキントリオの真骨頂だったのでございます。