このブログは私、中野新一が、ランバ・ラルを名乗り、彼が生きていて、現在の日本で生活していたらどんな事が起こるのか。その社会実験的試みの記録です。
みなさんおこんばんわ、
エナジー中野でございます。
今日昼ごろに、
わたくしの事務所に電話がございました。
電話の相手は、
年輩の女性です。
かなり焦っている様子でございました。
ぷるるるるる。がちゃ。
「はい、スタジオキャストでございます。」
「キャストさんですか~?
サトシいますか~?」
「いえ、サトシさんはいませんが、何か?」
「グラフィックの会社のキャストさんですよね。
うちのサトシだしてください。」
「申し訳ございません。
どちらかとお間違いではないでしょうか?
わたくしは開業以来、誰も雇った事はございませんし、
サトシさんに心当たりがございません。」
「はぁ~そうですか。
電話帳で調べて、ここやおもたんやけどなぁ。」
「どうかなされたのでしょうか?」
お話をうかがいますと、
女性はYという滋賀県の方でございました。
サトシさんとは彼女の息子で、
もう何日も連絡がとれないという事でございました。
「とつぜん京信さんから電話があって、
今月の引き落としができんいうて。」
「借金をなさっていらっしゃたのですか?」
「もともと、大阪の会社におったんやけど、
友達と京都でグラフィックの会社つくるんやいうて、
借金したらしいんやけど、
この前、返済の督促の電話があって、
今まで、ちゃんと払ってたのに。
ほんで、なんかあったんやろか思て、
携帯になんぼ電話しても、
留守電になって、
全然返事がないの。
どうしたらええんやろ。」
「それは大変ですね。
サトシさんは京都におられるのですか?」
「友達と作った会社が
京都でキャストっていう、
グラフィックの会社らしいんやけど、
普段、なんにもいわへんから、
友達も誰かわからへんし、
ほんでも、
今おるんは、仙台やと思いますわ。
仙台に行くいうて出たきり、
連絡がつかんの。」
「ああ、それで、
同じ会社名で、同じ業種のわたくしのところに
電話されたのですね。
すごい偶然ですね。
じゃあ、仙台の住所は、おわかりなのですか?」
「わかってる。
ほんでも見に行けませんやん。仙台なんて、
京都くらいやったら行くけど。」
「留守番電話になるということは、
携帯電話の解約はされてませんので、
おそらくお母さんの留守電は
聞いていらっしゃると思いますよ。」
「ほんでも、全然返事がないんです。」
「借金の督促が実家に及んでいるのを
知っているからでしょう。
気まずくて電話できないのです。」
「いつ電話してもでませんのやで」
「携帯電話には番号がでますから、
家からの電話だけ出ないんですよ。」
「ああそうか!出るんや。」
「でも、もしかしたら、サトシさんは、
なにか大変な事になっているかもしれませんし、
ただ金策尽きて、
実家に電話できないだけかもしれません。
どっちにしても、
仙台の住所をたしかめなくてはならないでしょう。」
「ほんまやねぇ。どうしたらええんやろ。」
「警察に見に行かせましょうよ。」
「警察?」
「捜索願を出して、おおごとにしましょう。
もし、大変な事でしたら、
一刻もはやく警察の力を借りるべきですし、
気まずくて電話できないだけでしたら、
突然警察が訪ねてきて、
びっくりして電話してくるはずです。」
「それ、いいねぇ。」
「とりあえず。
今日中に連絡してこんかったら、
明日警察に捜索願い出すから。と
留守電にいれてみて、様子をみてはどうですか。」
「いやぁ、いろんな人に相談してみるもんやね。
やってみるわ。」
「がんばってください。」
「いろいろお世話になったし、
また連絡させてもらいます。」
「そうですか。無事ですといいですね。
それでは失礼します。」
数時間後、ふたたびYさんから電話がございました。
「キャストの中野さん。
今、サトシから電話がありました。」
エナジー中野でございます。
今日昼ごろに、
わたくしの事務所に電話がございました。
電話の相手は、
年輩の女性です。
かなり焦っている様子でございました。
ぷるるるるる。がちゃ。
「はい、スタジオキャストでございます。」
「キャストさんですか~?
サトシいますか~?」
「いえ、サトシさんはいませんが、何か?」
「グラフィックの会社のキャストさんですよね。
うちのサトシだしてください。」
「申し訳ございません。
どちらかとお間違いではないでしょうか?
わたくしは開業以来、誰も雇った事はございませんし、
サトシさんに心当たりがございません。」
「はぁ~そうですか。
電話帳で調べて、ここやおもたんやけどなぁ。」
「どうかなされたのでしょうか?」
お話をうかがいますと、
女性はYという滋賀県の方でございました。
サトシさんとは彼女の息子で、
もう何日も連絡がとれないという事でございました。
「とつぜん京信さんから電話があって、
今月の引き落としができんいうて。」
「借金をなさっていらっしゃたのですか?」
「もともと、大阪の会社におったんやけど、
友達と京都でグラフィックの会社つくるんやいうて、
借金したらしいんやけど、
この前、返済の督促の電話があって、
今まで、ちゃんと払ってたのに。
ほんで、なんかあったんやろか思て、
携帯になんぼ電話しても、
留守電になって、
全然返事がないの。
どうしたらええんやろ。」
「それは大変ですね。
サトシさんは京都におられるのですか?」
「友達と作った会社が
京都でキャストっていう、
グラフィックの会社らしいんやけど、
普段、なんにもいわへんから、
友達も誰かわからへんし、
ほんでも、
今おるんは、仙台やと思いますわ。
仙台に行くいうて出たきり、
連絡がつかんの。」
「ああ、それで、
同じ会社名で、同じ業種のわたくしのところに
電話されたのですね。
すごい偶然ですね。
じゃあ、仙台の住所は、おわかりなのですか?」
「わかってる。
ほんでも見に行けませんやん。仙台なんて、
京都くらいやったら行くけど。」
「留守番電話になるということは、
携帯電話の解約はされてませんので、
おそらくお母さんの留守電は
聞いていらっしゃると思いますよ。」
「ほんでも、全然返事がないんです。」
「借金の督促が実家に及んでいるのを
知っているからでしょう。
気まずくて電話できないのです。」
「いつ電話してもでませんのやで」
「携帯電話には番号がでますから、
家からの電話だけ出ないんですよ。」
「ああそうか!出るんや。」
「でも、もしかしたら、サトシさんは、
なにか大変な事になっているかもしれませんし、
ただ金策尽きて、
実家に電話できないだけかもしれません。
どっちにしても、
仙台の住所をたしかめなくてはならないでしょう。」
「ほんまやねぇ。どうしたらええんやろ。」
「警察に見に行かせましょうよ。」
「警察?」
「捜索願を出して、おおごとにしましょう。
もし、大変な事でしたら、
一刻もはやく警察の力を借りるべきですし、
気まずくて電話できないだけでしたら、
突然警察が訪ねてきて、
びっくりして電話してくるはずです。」
「それ、いいねぇ。」
「とりあえず。
今日中に連絡してこんかったら、
明日警察に捜索願い出すから。と
留守電にいれてみて、様子をみてはどうですか。」
「いやぁ、いろんな人に相談してみるもんやね。
やってみるわ。」
「がんばってください。」
「いろいろお世話になったし、
また連絡させてもらいます。」
「そうですか。無事ですといいですね。
それでは失礼します。」
数時間後、ふたたびYさんから電話がございました。
「キャストの中野さん。
今、サトシから電話がありました。」

みなさまこんにちは、
エナジー中野でございます。
昨日。
わたくしが入りびたっております、
コミュニティFM局、
京都三条ラジオカフェの、
開局3周年の特別企画、
「西国街道を歩く」に参加し、
なんとかなしとげました。
西国街道と申しますのは、
かつて京都以西の諸藩の大名や旅人が、
江戸に行く際に利用した街道で、
京都の大山崎の関所から、九州の太宰府までのびている、
甲州街道に次ぐ、かつての大街道でございます。
今回わたくし達がチャレンジしたのは、
兵庫県の西宮の宿場から、
大山崎の関(関大明神)までの、
およそ60キロの踏破でございます。
京都発、朝6時10分の快速にのって、
7時すぎに兵庫県西宮駅に到着。
早速京都のラジオ局と生中継。
その後、西宮から武庫川をわたって尼崎。
尼崎から、伊丹に入り、国道171号線に沿って今も残る
旧道、西国街道を北上し、池田方面へ。
箕面の田園地帯には、
往時の風景を彷佛とするたたずまいの建物も多く残っていました。
そして、箕面から茨木。
5色の椿が咲き誇る、
郡山宿本陣、通称「椿の本陣」でも生中継をしました。
この日は、だいたい1時間ごとに、5分くらいの生中継をし、
お昼の1時~2時は1時間の歩きながらの生中継でした。
中継中に、ウクレレ青年が現れたり、
ラジオカフェの局長が応援に参加してくれたり、
さまざまな嬉しい出合いがございました。
そして高槻。
この頃になると、もうすっかり日は落ちて真っ暗でございます。
お腹はすくし、足は痛いし、
だんだんこの旅の意味を見失いかけた頃、
地元のラジオ局、
FM171の美人職員の方が、
わたくし達を探し当ててくださいまして、
差し入れに1.5リットルの、
ペットボトルのジュースなどを、
たくさんくださいましたが、
500ミリリットルのお茶でさえ重くのしかかっていた、
わたくし達は、
気持ちだけいただきまして、
かわりに、チョコレートがちらっと見えましたので、
むさぼるようにいただきました。
美味しかったです。
この時点で夜の8時くらいでございます。
13時間、人は案外歩き続けられるものでございます。
そして、その場所から、
まっくらな、
高槻の山沿いの道を歩く事およそ2時間。
夜の10時ごろ、
ついにかつての大阪、摂津の国と、
京都のはしっこ、
山城の国の国境の関所がありました、
大山崎の関大明神に到着いたしました。
感動に涙をこらえきれない仲間たち。
美人レポーターの化粧も、
流れ落ちていきました。
感無量でございます。
この到着時間は、
予定よりおよそ3時間遅いものでございました。
それは、
わたくしたちが道中の史跡や、
風景に足を止めて観賞していたからでございます。
ペースの遅れは早い段階でわかっておりましたが、
それでもわたくしたちは、
次々に出会う、一期一会の風景に、
足を止めて、思いにふけりながら、
歩を進めたのでございます。
さすがに、暗くなりますと、
歩く事しかできませんので、
尻取りなどをしたり、
わけのわからない歌を歌って、
街道を楽しく歩き、
京都に帰ってまいりました。
へとへとではございましたが、
わたくしたちは
最後まで「道」を楽しんだのでございます。
高度に発達した交通社会では、
いかに合理的に早く目的地に到着するのか、
「道」はその抵抗でしかございません。
わたくしは、旅には2種類あって、
目的地で楽しむ旅と、
道中を楽しむ旅があるように思えるのでございます。
ちなみにわたくしは、
前者を「旅行」
後者を「旅」と勝手に言いわけております。
その意味において、
今回の企画はわたくしにとって「旅」であり、
最後まで信念をもって寄り道し、
道中を楽しみ、
大きな事故もなく無事帰還できたことは、
最大の喜びでございます。
素晴らしい仲間に感謝。
この企画を認めてくださいました、
ラジオカフェに感謝。
旅に感謝でございます。
さあ、次の旅まで、
しばらく骨休め、
かわりに、日常と戦わねばなりません。
旅を楽しみ、
日常を楽しめる、
この健康に、感謝。
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